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大阪高等裁判所 昭和63年(う)557号 判決

本籍

京都市南区吉祥院這登東町四四番地

住居

同区吉祥院船戸町二五番地の一一

会社役員

渡守秀治

昭和二二年六月七日生

右の者に対する所得税法違反、相続税法違反被告事件について、昭和六三年三月二五日京都地方裁判所が言い渡した判決に対し、被告人から控訴の申立があったので、当裁判所は次のとおり判決する。

検察官 篠原一幸 出席

主文

本件上告を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人小島孝及び同豊岡勇共同作成の控訴趣意書に、これに対する答弁は、検察官竹内陸郎作成の答弁書に、それぞれ記載のとおりであるから、これらを引用する(但し、控訴理由としては、事実誤認と量刑不当を主張する趣旨であって、事実誤認の点は、現判示各事実について犯意がなかったことを主張するものである旨、主任弁護人において釈明した。)。

第一控訴趣意中、事実誤認の主張について

論旨は、要するに、被告人が関与した現判示第一、第二の所得税及び相続税の各納税申告手続きは、旧同和対策事業特別措置法(以下同対法ともいう。昭和五七年四月以降は地域改善対策特別措置法に引き継がれた。)及び昭和四五年二月一〇日付官総二-六国税庁長官通達(以下長官通達ともいう。)の趣旨に従い、被告人らが全日本同和会京都府・市連合会(以下同和会ともいう。)名で代行してきた納税申告方式により、同和地区住民に対する税負担軽減措置の一環として行ったものであるところ、税務当局は、早くから部落解放同盟(以下解同ともいう。)に対してその方式を公認してきており、同和会でも事前に所轄税務署等と協議してその指導、了解を得て実施してきたものであって、被告人は、右申告手続きが不正行為であるなどとは考えてもおらず、ほ脱の犯意がなかったというべきであるから、被告人を所得税法二三八条一項並びに相続税法六八条一項に問擬した原判決には、判決に影響を及ぼすことの明らかな事実誤認があり、破棄を免れない、というのである。

そこで、所論にかんがみ記録を調査し、当審における事実取調べの結果をも合わせて検討するに、原判決挙示の関係各証拠によれば、原判示第一の所得税法違反並びに同第二の相続税法違反の各事実は、その各ほ脱の犯意の点を含め優にこれを認めることができ、当審事実取調べの結果によっても右認定は左右されず、原判決には、所論のような事実誤認はない。

すなわち、原審で取り調べられた関係証拠によると、次の各事実が認められる。

(一)  被告人は、昭和五四年一一月ころ同和会に入会し、昭和五五年一一月ころからは同和会本部事務局に出入りし暫定的に同事務局次長の仕事を担当するようになり、昭和五六年一月正式に右事務局次長に就任したものであるが、昭和五五年一一月ころから同五六年一月ころにかけて同和会副会長の鈴木元動丸(同人は昭和五七年四月ころ会長に就任している。)、事務局長の長谷部純夫(同人の事務局長就任は、昭和五六年一月である。)及び同和会乙訓支部支部長今井正義らと共に、「税務対策」と称し、同和会の名義を用い、ひろく所得税・相続税等の納税者からカンパ等の名目で本来納付すべき正当な税額の約半額を目処に金員を徴したうえ納税申告手続きの代行を請け負い、架空債務計上等の方法によって納付税額を正当な税額の五パーセントないし一〇パーセントにまで大幅に圧縮する過少申告を実行する計画を立て、それぞれの役割分担も話し合い、同和会支部などに納税義務者の紹介を依頼し、昭和五五年分の所得税に関する確定申告の時期である昭和五六年二月から徐々に計画を実行に移して行ったが、そのうち右「税務対策」を継続的且つ大規模に行うためには、正規の所得額ないし相続財産額に対する架空の控除金額を計上するについて必要な架空・虚構の債務に関する債権者等になる受け皿的な存在を作っておくのが便宜であることから、長谷部の発案により、昭和五六年五月一日鈴木を代表取締役、長谷部と被告人を取締役、今井を監査役として有限会社同和産業なるペーパーカンパニー(以下同和産業という。)を設立した。

(二)  原判示第一の申告行為は、不動産取引の仲介業者である宇津竹次郎、松本芳憲らの依頼を受けた被告人が、事前に長谷部らの了解を得て実行したものであるところ、その方法は、原判示第一の不動産の所有者井上博文がこれを売却譲渡したことにともない申告納付すべき所得税を過少に申告する目的で、株式会社ワールド(同会社は、鈴木が相談役をしていた会社で昭和五六年末ころ不渡りを出して事実上倒産し、当時はいわゆる休眠会社であった。以下ワールドという。)の同和産業に対する借入れ債務につき連帯保証人となっていた井上が、右ワールドの破産により保証債務履行のため前記不動産を他に売却し、その譲渡収入で支払ったが、ワールドに対する救債不能によって保証債務履行額相当の回収不能金を生じたと仮装し、所得税法六四条二項に基づいて課税控除を求めたもので、そのほ脱額は、五、三六二万〇、四〇〇円に達している。

被告人及び長谷部ら同和会側は、本件納税申告を井上から二、四〇〇万円で請け負ったが、井上は、仲介者の宇津に二度に分けて合計三、〇〇〇万円を支払っている。これは、宇津が井上や被告人らを騙して六〇〇万円を中抜きしたためである。同和会側に一旦渡った二、四〇〇万円の使途、分配の中身は、次のとおりである。

右京税務署に支払った井上の所得税 三七三万四、七四〇円

仲介者松本、同宇津への謝礼 五〇〇万円

同和会下京支部支部長吉村松雄に 二〇〇万円

同和会本部に 五〇〇万円

残額八二六万円余りは被告人が個人的に利得している。

(被告人は、右個人的な利得を終始否定する供述をしている。その弁解の要旨は、「昭和五九年二月一四日午前一〇時過ぎに右京税務署近くの喫茶店クラウンで長谷部が井上から紙袋に入った二、四〇〇万円(現金一、九〇〇万円、小切手五〇〇万円)を受け取った後、被告人が長谷部からこれを預かり、申告手続きを三七三万円余りを納付したあと、同喫茶店に戻り、被告人から松本、宇津に謝礼として五〇〇万円、吉村二〇〇万円を交付し、長谷部は、急ぎの用事があるということで先に帰ったので、当日午後同和会のあるビル地下の喫茶店「いそべ」で長谷部と会い、その場で被告人から長谷部に紙袋に入ったままの残りの現金、小切手合計一、三二七万円余りを手渡した。その際、長谷部は、急いで中央信用金庫樫原支店の株式会社丸元(鈴木経営の会社)の口座に七〇〇万円を送金しなければならないと言っていた。」というものである(被告人の検察官に対する昭和六〇年九月六日付供述調書)。しかし、長谷部は、右申告当日、被告人から額面五〇〇万円の小切手一通と現金五二六万三、三〇〇円を受け取っただけで、これらは、一括して当日、京都中央信用金庫西御池支店の長谷部匡宣名義の普通預金口座に入金し、翌々二月一六日、内一、〇二五万円を出金したうえ、五〇〇万円を本部資金として三井銀行堀川支店の同和会名義の普通預金口座に入金し、残りは下京支部分として被告人か同支部の支部長吉村に渡したと供述しており(長谷部純夫の検察官に対する昭和六〇年一〇月一七日付及び同年一二月四日付各供述調書謄本)、この長谷部の供述に、預金通帳の記載によって裏付けられているのである。これに対し、被告人は、前記のとおり、長谷部に手渡した一、三〇〇万円余りの金の内七〇〇万円については、同人が急いで鈴木に送金しなければならないと言っていたと供述しているが、当時長谷部が管理していた同和会の前記預金口座の記載によれば、七〇〇万円の鈴木に対する送金は四日も遅れて二月一八日になされているうえ、それより先、二月一五日に別に鈴木に四〇〇万円送金されていることが認められ、二月一八日の鈴木に対する七〇〇万円の送金と本件カンパ金との関連は甚だ疑問である。更に、関係証拠によれば、本件は、被告人が松本らを介して請け負ったいわば直接本部に持ち込まれた案件であるのに、被告人は、申告前日に下京支部の支部長である吉村に電話を掛け本件を同支部扱いにしてくれと頼み込み、二月一四日当日同人に前記喫茶店クラウンまで来てもらうという工作をしていること、そして吉村には長谷部のいる前で個人に対する謝礼として一旦四〇〇万円を支払い、後日同人から密かに内二〇〇万円を返して貰っていること、また、同和会では従来から支部を通じて紹介を受けた税務申告の仕事については、カンパ金を本部と支部でほぼ折半していたことが明らかであり、これらの事実によれば、長谷部が支部分として被告人または吉村に前記のような分配金を渡したのも十分納得できる。そうしてみると結局、被告人の前記弁解は信用できず、長谷部の供述が信用できると考えられる。)

(三)  原判示第二の申告行為は、土建業者の上田幸弘やかつて同和会の幹部であった岩崎義彦、青山健造らの依頼を受けた被告人が、長谷部らに報告のうえその了解のもとに実行に移したものであるが、その方法は、亡奥村博司の相続人奥村典子、奥村文浩の両名が申告納付すべき相続税を過少に申告する目的で、原判示のごとく、被相続人の博司が、同和産業に多額の借金をしていたように仮装し、相続人らがその借金を承継したとして、相続税法一三条一項に基づいて債務控除をしたもので、ほ脱額は、相続人両名で一億二、九八七万八、一〇〇円に達している。

被告人ら同和会側は、右納税申告を九、〇〇〇万円で請け負い、その金は、前記岩崎が奥村典子から受け取り、そこから次のとおり使用したり、関係者に分配されている。

宇治税務署に支払った相続税(二名分) 七三一万八、九〇〇円

戸山孝 五七二万円

上田幸弘 二〇〇万円

青山健造 五〇〇万円

岩崎義彦 二、七九六万一、一〇〇円

残額四、二〇〇万円が被告人に交付され、内二五〇万円を同和会本部に納入し、鈴木と長谷部が各六〇〇万円取得し、被告人が個人的に二、七五〇万円余りを取得している。

(被告人は、本件でも個人的に一銭も利得していないとして、大要、「昭和五九年一〇月一五日奥村側から同和会に支払われた金額は四、二〇〇万円であるところ、被告人は、同日夜長谷部の長男が経営する祇園の割烹料理店で全額長谷部に渡した。その場で、長谷部は、『大金を本部で持っていると間違いも起こるから研修会の準備資金として預かっておいてくれ』と言って、その内から一、〇〇〇万円を被告人に預けた。これは、同年一二月の人権週間の行事として開催が予定されていた府民集会の予算である。被告人は、同日、これを京都銀行西四条支店に自己名義の定期預金三〇〇万円三口の形で預け入れ、残り一〇〇万円は活動費に使った。ところが後日、鈴木に一、〇〇〇万円預かっていることを話したところ、鈴木から『報酬は、みんなの前でもらったほうがいいので、その金は返した方がいい』と言われたので、昭和六〇年二月一五日ころから三月七、八日ころまでの間に本部の方に返した。」と供述している(被告人の検察官に対する昭和六〇年八月二四日付及び同年九月二六日付各供述調書)。

しかし、長谷部は、「昭和五九年一〇月一五、六日ころ、被告人が奥村のカンパ金約二、〇〇〇万円を同和会事務所に届け、一六日鈴木の指示で内二五〇万円を本部経費に入れ、残金約一、八〇〇万円を鈴木、長谷部、被告人の三人で山分けし、その際鈴木から、本部から三〇〇万円借りているので返還しておいてくれと言ってその取り分の内三〇〇万円を預かったので、一〇月一七日本部の事務員をして同和会の預金口座にその金を入れてもらった」旨供述しており(長谷部純夫の検察官に対する昭和六〇年一〇月二九日付供述調書謄本)、長谷部の右供述は、前記同和会の三井銀行堀川支店の預金通帳の記載によって一部裏付けられているのである。加えて、長谷部自身も供述するように、同和会名義の預金口座もあるのに、被告人の供述するような理由で多額の同和会の現金を被告人に預ける必要性がないこと、被告人の供述するように同和会に一、〇〇〇万円を返還した事実を裏付ける客観的証拠がないうえ、鈴木は、被告人が言うような形で同人に一、〇〇〇万円の返還を迫ったようなことは記憶にないと供述している(鈴木元動丸の検察官に対する昭和六〇年一〇月三〇日付供述調書謄本)こと、奥村関係で前記のように大金が関係者間で分配されているのに対比すると、中心になって働いた被告人だけが何らの利得も得ていないというのは不自然であることなどにかんがみると、被告人の右弁解は到底信用できず、長谷部の供述を信用すべきものと考えられ、結局本件での被告人の利得は、二、七五〇万円余りであると認められる。)

以上の事実を認めることができる。そして、右認定事実によれば、被告人が、原判示第一及び第二の各申告について、それぞれ、譲渡所得に関する多額の回収不能金の発生及び被相続人からの多額の債務の承継を仮装して、虚偽の申告書を所轄税務署に提出し、所得税及び相続税を免れようという意思を有していた事実は明白である。

ところで、所論は、本件当時被告人らの行った納税申告の方法は、同対法ないし長官通達の趣旨に従い関係税務当局の了解を得たうえ実行されていたものである旨主張するので、原審及び当審で取調べられた関係各証拠に基づいて検討するに、

(一)  旧同和対策事業特別措置法は、同法一条、六条の規定によって明らかなように、同和地区居住者の経済力の培養等を目的として国の施策である同和対策事業の内容を定めたもので、税制について何ら触れていない。この点は、時限立法である同法を引き継いだ地域改善対策特別措置法についても全く同様である。また前記国税庁長官通達は、右旧法の制定公布にともない全国の国税局長あてに発せられたものであるところ、同通達は、「1 職員に対し、同和問題に関する認識を深め、国家公務員としていやしくも法の精神に反するような言動のないよう周知徹底をはかること。このため、局署において実情に応じ職員に対する研修等を実施すること。2 同和地区納税者に対して、今後とも実情に則した課税を行うよう配慮すること」等を内容とするものである。いうまでもなく、我が国では、租税の創設改廃はもとより、納税義務者の範囲、納税対象、税率、税徴収の方法等は、すべて法律によることを要する租税法律主義(憲法八四条)の原則をとっており、税法の上では同和地区納税者の税負担を軽減する規定は存せず、通達によって、税法にかわる規定を創設したり、税法を変更できるものではなく、右通達が、法定の租税に対する減免につながるものでないことは文言上からも明らかである。同通達にいう実情に則した課税とは、京都地方裁判所の証人糸田武久に対する尋問調書(写)をも参考にすると、課税処理の場面で各同和地区納税者の所得等の実態を機械的でなく、個別的に慎重に把握するよう求める趣旨であって、同和地区納税者に対する税金の減免を指示したものではない。

(二)  次に被告人をはじめ同和会関係者は、捜査、公判を通してほぼ同様に「同和会代表者が昭和五五年一二月二日大阪国税局において、同局の担当係官に対し、従来解同が実施してきた税務対策と同様の取扱いを同和会にも認めるよう要求したところ、当局も原則としてこれを了承し、『同和会では、行政に協力するという立場から解同のように納税額〇というのではなく、正規税額の五ないし一〇パーセントを納税してもらいたい。後日上京税務署で具体的な手続きについて打ち合わせをするように』と言われ、その結果同和会代表者は、同月八日右上京税務署を訪ね、同署長らと話し合ったところ、税務署側は、『今後同和会側を通してなされる納税申告については、各署総務課長を窓口とし、税額は、大阪国税局側の回答と同様、正規税額の一〇パーセント程度で了承する。』旨回答した」と供述している。一方解同は、昭和四三年大阪国税局長との間で七項目の確認を行ったとして確認事項と称する書面を発表しており、その内容は、「2同和対策控除の必要性を認め、租税特別措置法の法制化に努める。その間の処置として、局長権限による内部通達によってそれにあてる。3企業連が指導し、企業連を窓口として提出される白、青色をとわず自主申告については全面的にこれを認める。ただし内容調査の必要ある場合には企業連を通じ企業連と協力して調査にあたる。7協議団本部長の決定でも局長権限で変更することができる(協議団の制度は四五年国税不服審判所に発展的解消した)。」などというものであるが、右確認事項は、その多くが法律に違反し、ないしは法制上不可能の事項に属し、国税局がこのようなものを認めるとは到底考えられず、前記京都地方裁判所の証人糸田武久に対する尋問調書(写)からも明らかなとおり、解同側が大阪国税局に一方的に申し入れをしただけのものであって、大阪国税局の承認を経たものではないと認められる。したがって、被告人らが、大阪国税局並びに上京税務署から、前記確認事項の存在を前提として同様の承認を得たと供述しているのは到底措信できず、前記京都地方裁判所の証人糸田武久及び同河辺康雄に対する各尋問調書(写)中において同証人らが供述しているように、大阪国税局及び上京税務署の担当係官が、被告人らの供述するような事柄についての承認を与えた事実はないものと認められる。

そうだとすれば、被告人らの行った原判示第一及び第二の各納税申告が、同対法ないし長官通達の趣旨に従い、関係税務当局の了解のもとに実行されたものではないことは明らかであり、被告人らは、前記のような方法によってなされたこれらの申告が税法上許されないものであることを認識していたものと認めざるを得ない。したがって、右各申告について、被告人が不正の行為によって各租税を免れる意思を有し、各犯行の犯意に欠ける点のないことは明白である。

原判決に所論の事実誤認はなく、論旨は理由がない。

第二控訴趣意中、量刑不当の主張について

論旨は原判決の量刑不当を主張し、特に懲役刑について刑の執行を猶予しなかった点において重きに失する、というのである。

そこで所論にかんがみ、記録を調査し、当審における事実取調べの結果をも合わせ検討するに、原判決が「(量刑の理由)」と題する項で説示するところは、当裁判所においても、正当として首肯することができ、本件の罪質、動機、態様、社会的影響及び被告人の利得の状況、特に、本件犯行は、全日本同和会京都府・市連合会の組織を背景として被告人を含む同会の幹部によって敢行された事犯であり、同和産業なるペーパーカンパニーまで設立して架空債務を計上して課税所得を圧縮する等露骨な脱税方法によってなされていること、脱税金額が合計一億八、〇〇〇万円余の多額にのぼり、ほ脱率も高率であること、被告人は、同和会が組織的に本件のような脱税行為を行うようになったその当初からこれに積極的に加わり、前記同和産業の設立にも関与してその取締役となり、本件各犯行においても、納税者あるいは紹介者らとの折衝、カンパ金額の決定や紹介者への謝礼の支払い等の面で積極的且つ重要な役割を果たしており、更に納税者からは脱税の見返りにカンパ金という名目で多額の金員を受け取り、しかも被告人自身前に認定したように個人的にも多額の利得を得ながら、その受領した金員については事実に反して同和対策のために組織に納入されたと主張していまなお納税者に一切返還しようといていないこと、そもそも、前に認定した被告人を含めた共犯者の利得の状況等から考えれば、本件各犯行の動機は、決して同和地区住民の救済とか福祉の向上だけを目的としてものではなく、共犯者ら自身の利得も目的とした不純なものであったと認められること、本件納税義務者らは、身からでた錆とはいえ、本件発覚後ほ脱にかかる本税だけでなく重加算税まで納付せざるを得ない状況に立ち至り、そのうえ被告人らからいわゆるカンパ金も返してもらえず、莫大な損害を被っていること等の所事情に照らすと、本件犯情は重く、被告人の刑事責任は重大である。してみると、原判決も指摘しているように、本件各犯行の背景には、税法の適正公平な執行に当たるべき重責を担う税務当局が、従来からいわゆる同和団体の働きかけに曖昧な姿勢で対処し、結果的には、本件のような不正な納税申告を助長してきたということは否定できず、この点は被告人の刑事責任を軽減する方向で考えるべきであること、被告人にはこれまで前科もなく、通常の社会生活を送ってきたことの他被告人の境遇、家庭の状況等所論指摘の事情を含め諸般の情状を斟酌しても、所論のように懲役刑について刑の執行を猶予するのが相当とは認められず、被告人を懲役一年二月及び罰金一、八〇〇万円に処した原判決の量刑が刑期、罰金額の点でも不当に重いとは考えられない。論旨は理由がない。

よって、刑事訴訟法三九六条により本件控訴を棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 石松竹雄 裁判官 高橋通延 裁判官 正木勝彦)

○ 控訴趣意書

一、被告人 渡守秀治

一、事件名 所得税法違反、相続税法違反

一、事件番号 昭和六三年(う)第五五七号

一、控訴趣意 左記のとおり

右のとおり控訴趣意書を提出する。

昭和六三年九月一三日

右弁護人 小島孝

同弁護士 豊岡勇

大阪高等裁判所第五刑事部 御中

控訴申立の趣意

一、原判決には、被告人には本件所為につき犯意なきに拘らず、判決に影響を及ぼすことが明らかな同事実につき、これありと認定する重大な誤認があるので、貴庁におかれ同判決をご破棄の上、被告人に無罪のご判決を賜わりたく、

二、もし、被告人の犯意の欠缺は法の不知に尽きるところなりとして右が認められないとしても、被告人に係る刑法第三八条第三項該当の情状その他諸般の事情に鑑み、原判決には量刑不当の誤りがあるので、貴庁におかれ原判決をご破棄の上、被告人に対し刑執行猶予のご判決を賜わりたく思料します。

控訴の事由

第一、原判決の事実誤認について

一、原判決の、被告人に係る所得税乃至相続税免脱の犯意ありとなした事実誤認について、

(一)原判決は判決理由中、犯行に至る経緯の項において、被告人は全日本同和会京都府市連合会事務局次長の事務を担当していた昭和五五年末頃から昭和五六年頃にかけ、同連合会会長鈴木元動丸や事務局長長谷部純夫らと共謀の上、同連合会の税務対策として一般納税者らの依頼に応じて納税申告書の作成その他の申告と納税の手続一切を引受けると共に、同手続につき、

1、譲渡所得税申告については、納税義務者が他の主たる債務者の債務につき、保証債務を履行するため当該財産を譲渡したが主たる債務者が破産したため、求償権の行使が不可能となった、などとし、また、

2、相続税申告については、被相続人に債務があり、これを相続人である納税者が支払ったことにする、

など、それぞれ虚偽の申告をして納税額を正規税額の五乃至一〇パーセントに圧縮してその差額を免脱させた上、

3、同免脱額の約三分の一乃至半額をカンパ金等の名目で当該納税義務者から同連合会に納付させこれを利得しようと企て、

4、同連合会傘下の各支部等に納税義務者の紹介すると共に、

5、右納税申告書に添付する納税者の債務支払疎明のため架空債権者作成名義の領収証の発行に際し、同発行名義人として使用するため、被告人が右鈴木および長谷部らと共同して昭和五六年五月一日有限会社同和産業を設立していた

旨認定しているが、被告人には何ら納税者をして納税義務を免脱せしめたり、そのため虚偽の申告をさせたりする意図は毛頭なく、従って原判決の右認定は何れも事実関係の誤認に尽きる。

(二)原判決中、罪となるべき事実に係る誤認について、

原判決は被告人が

1、井上博文ほか四名らと共謀の上、井上において自己所有の土地を他へ譲渡した所得に係る課税を免れんと企て、恰も同人が、株式会社ワールドの有限会社同和産業に対する架空の借入金債務二億円の連帯保証を引受けたところ右ワールドが破産したため同和産業に対し同連帯保証債務を履行する資金調達の目的で前記土地を他え売却し同売買金中から同保証債務金一億七、〇〇〇万円の弁済を履行した旨偽装する内容虚偽の所得税確定申告書を昭和五九年二月一四日京都右京税務署に提出する不正の行為をし、以て正規税額との差額差引金五三、六二〇、四〇〇円を免れ、以て所得税法違反の行為をし、

2、奥村典子ほか六名らと共謀の上、同典子の実父で奥村文治の養父に当る奥村博司が死亡し相続が開始したのに伴い右典子および文治が負担すべき相続税を免れんと企て、恰も被相続人奥村博司が有限会社同和産業に対し合計金二九、六五〇万円の負債を有したため、右典子において内金一億五、九〇〇万円、文治において内金一億三、七五〇万円の債務をそれぞれ承継したかの如く仮想し、昭和五九年一〇月二九日、京都宇治税務署において、右両名申告名義の何れも右仮想に基く虚偽の相続税申告書をそれぞれ提出する不正の行為をし、以てそれぞれ正規税額と比較し、右典子において差額金七〇、二一三、七〇〇円、右文治において差引金五九、六六四、四〇〇円を免れ、以て何れも相続税違反の行為をしたものである旨認定しているのであるが、以下において明らかな通り、被告人には

(1)井上博文らと共謀し同人をして同人の納付義務のある譲渡所得税を免れさせ、をし、以て所得税法違反の所為をなし、或いは

(2)右奥村典子や同文治らと共謀し同人らの納付義務のある相続税を免れさせ、以て相続税法違反の所為をなす

犯意は些かもなかりしものであり、原判決の右各認定は、何れも判決に影響を及ぼすことが明らかな事実につき重大な誤認をなしたものである。

第二、全日本同和会京都府市連合会会長鈴木元動丸らのなした、原判決判示第一乃至同第二の本件各税務対策の背景について、

一、部落開放同盟が昭和三五年以降反覆継続中の税務対策。

部落開放同盟は部落民に対する差別撤廃を目的とする部落解放運動の一環として「部落民らの経済的地位の向上」の旗印のもとに、所謂同和課税減免の実現を目指す税務対策を、既に昭和三五年当時から実施し、傘下の企業連合等を介して所謂ゼロ申告ゼロ納税の形でこれを繰返し今日に至っていることは半ば公知の事実となっているところである(木村美代治証人調書参照)。

二、部落解放同盟のなす税務対策に対する税務当局の認知。

その後、昭和四〇年八月一一日付で同和対策審議会が、先の総理大臣からの「同和地区に関する社会的及び経済的諸問題を解決するための基本的方策」についての諮問に対してなした答申、次いで同答申を実践する手段として昭和四四年七月一〇日付で制定施行された同和対策事業特別措置法、更に同法の精神に立脚し、同法中には具体的に条文化されていなかった「同和地区関係住民らの経済的地位の改善」のための所謂同和課税減免を法的に実践する手段として、昭和四五年二月一〇日付で全国各管区国税局長宛に発せられた「同和問題について」と題する国税庁長官通達等を以て、先に部落解放同盟の中で既に事実上実現されつつあった所謂同和課税減免の措置は、漸く法的に認知されたものとして国税当局によって認容され、現に全日本同和会京都府市連合会の名義でなされた本件所得税法違反等一連の税法違反事件が検挙された後もなお、部落解放同盟の手による税務対策は全てこれが認容される行政的措置が今日に至るまで引続き継続されている(前掲木村証人調書参照)。

三、全日本同和会の国税当局との交渉による所謂同和課税減免措置の適用。

(一)全日本同和会京都府市連合会の下部組織からの税務対策の要望。

昭和五五年夏頃に至り、全日本同和会京都府市連合会の下部組織、殊に八幡支部等の会員らの間から、同じ同和地区関係住民でありながら、部落開放同盟所属住民らは支持政党である社会党の政治的支援の故か課税上の優遇を受けているに拘らず、政府自民党支持の立場に立つ全日本同和会に所属する同和住民らはそうした優遇を受けられないままで放置されているのは矛盾不公平であるから、全日本同和会においても速やかに国税当局に陳情して同意を得た上、部落開放同盟と同様の税務対策を同和会関係の住民らのために実施し、同盟所属住民らの場合と対等の課税上の優遇を受けられるように処置をしてもらいたい。現に同和会でも大阪府連合会では大阪国税局同和対策室の承認を得て傘下所属会員らのための税務対策を実施している、と言う実例があるではないか、等とする強硬な要望が盛上がり、京都府市連合会本部が謂わば突き上げられる形となった。

そこで同京都府市連合会本部では当時会長であった西田格太郎や事務局長鎗丸冨貴男らが中心となって構想をねり、副会長鈴木元動丸、同亀岡支部長であった長谷部純夫や本部事務局員渡守秀治らがこれに協力し、昭和五五年九月三〇日の同府市連合会本部役員会、同年一一月一一日の同理事会、同年一一月三〇日の仮称税務委員会を引続き開催した結果、同府市連合会でも従来部落解放同盟が実施してきた税務対策と同様の取扱いを全日本同和会にも認容されるよう国税当局に陳情の上、これを実施すべき旨の方針を決議しその旨の機関決定を行った。

(二)全日本同和会の国税当局への陳情とその結果。

そこで全日本同和会京都府市連合会代表者らは、同和会大阪府連合会役員らの案内で昭和五五年一二月二日大阪国税局同和対策室を訪れて同局代表の幹部職員らに前記趣旨の陳情をした結果、同当局側は原則論としてこれを了承されたが、全日本同和会の場合は部落解放同盟の如く革新を表傍する団体ではなく、現体制指示のの政治路線に立脚しているのであるから、同盟のようなゼロ申告ゼロ納税ではなく、行政に協力する意味で何がしかの納税、例えば正規税額の五パーセントとか一〇パーセント程度でも具体的に納税してもらいたい旨、それに、同和会京都府市連合会所属住民らの納税については京都府下の各税務署がこれを管轄することになるから、予め大阪国税局の手で期日を設定するところに従って、同和会京都府市連合会の代表者らが、京都府下の筆頭の立場にある上京税務署で、同和会の手による税務対策の具体的取扱手続等の打合わせをされたい旨の回答があった。

その結果、同和会京都府市連の代表者らは同年一二月八日、京都上京税務署を訪れ、同署長、総務課長ら幹部職員と面接し前同様陳情の結果、同税務署側では既に大阪国税局からの予めの指示連絡により同和会側の陳情の趣旨を受入れ、先に大阪国税局側が同和会側に提示した原則に従って、向後、京都府下各税務署では全日本同和会京都府市連合会側の税務対策担当責任者の手を通じ、各署の総務課長を窓口として提出される個々の納税者からの納税申告書については、所謂同和課税減免の措置を適用する取扱いをすることとするから、これらの具体的な申告手続きについては、夫々所轄税務署で同和会関係の窓口を担当する総務課長ら幹部とその都度話合いの上、具体的に税務対策を進めるよう、また大阪国税局側の指導方針と同様同和会の場合は、部落解放同盟とは異り、正規税額の一〇パーセント程度の納税はこれを実行して行政に協力をされたい旨の指導がなされた。

(三)同和会京都府市連の具体的税務対策実施と税務当局の行政指導。

そこで同和会京都府市連本部では昭和五六年一月末日の役員改選により事務局長に就任した長谷部純夫が同本部の税務対策担当責任者となり税務対策につきすべて税務署側との交渉に専従することとなり、渡守秀治が事務局次長の地位に就くと共にその後更に内藤光義が同じく同次長の地位に就き、長谷部からの指示を受けて同人の走り使い役を担当する体制が出来上がった。

ところで右長谷部が前記税務当局側との予めの了解事項に基き、昭和五六年二月一五日から各税務署で受付の開始された昭和五五年度の確定申告手続を同府市連傘下の同和関係住民らのために代行するに当り、従来の部落解放同盟の手でなされてきたようなゼロ申告ゼロ納税ではなく、而し所謂同和課税減免の適用を受ける意味で同和会のなす税務対策の場合は、正規納税額の五パーセント乃至一〇パーセントの限度で具体的に納税をする、と言う形での申告手続は実際上どのようにすれば良いのかが全く五里霧中の状態であったところから、長谷部としては差当り同手続のために訪れた下京、右京、伏見それに園部等の各政務署でそれぞれ受付窓口を担当された総務課長や所得関係の統括官ら幹部職員にこの点について相談を持ちかけた結果、これらの各担当官側から、同和会側から提出する各申告書にそれぞれ所得金額を計上すると共に、これに相応の、取得原価該当支出金額、貸倒れ金額、その他必要債務支払弁済金額等を課税控除項目に計上記載し、それによって差引正味課税金額が正規税額の五パーセント乃至一〇パーセントにまで圧縮削減されるように調整をした上、これら課税控除項目を具体的に裏付ける領収証その他の証拠書類を然るべく作成し、これを納税申告書に添付して提出する、と言う方式を示唆指導された。

(四)有限会社同和産業設立の経緯について

しかしその後長谷部らは右行政指導の線に沿って右の通りの「然るべき領収証」の作成に当ったものの、その都度適当な架空の領収証の作成名義人を創作してその住所氏名等を設定する繁に耐えなかったところから、前記の右京、下京、伏見等の各税務署のそれぞれ担当統括官らに対しそれらの事情を訴え、税務署側において、同和会からの税務対策の場合にも従来部落解放同盟による税対について認容して来られたようにゼロ申告ゼロ納税の書式による納税申告書の提出を一応受理しておいて、具体的には同和会側からそれら各個々の納税申告の案件毎に正規税額の五パーセント乃至一〇パーセント程度の具体的課税金額を納税させるという方法で処理していただきたい旨を陳情した。

これに対し右京税務署や下京税務署の担当官らとしては、同和会側から部落解放同盟と同様のゼロ申告ゼロ納税方式の申告書を提出させておいて、これに対し正規税額の五パーセント乃至一〇パーセント相当額の課税額を徴収するということは課税技術上不可能であるから、同和会側が課税控除額の裏付資料となる領収証等の証拠書類を作成するにつき一々その作製名義の設定が難儀であるということなれば、例えば同和会側でこれらの証拠書類作製名義人の受け皿となる法人を設立すると言うのも一方法であろうし、殊に当該法人の名称の一部に「同和」という字句が含まれておれば当局側としては係官が一見して直ちにそれが同和会側からの税務対策として提出した納税申告書に添付された証拠書類であることが判別できて、頗る実務上便宜であると思われる等との示唆指導を与えたものである。

そこで長谷部らは税務当局側から与えられた右の如き具体的示唆指導に基くいわゆる受け皿としての法人である有限会社同和産業設立の構想を取りまとめてみたものの、昭和五六年四月頃当時には、全日本同和会京都府市連合会では西田会長が老齢の故もあり病気のため府下の自宅に引きこもって長期静養に入った状態であったところから、副会長の鈴木元動丸に対し右税務当局側の示唆に基く法人設立を提案したので、鈴木から同案が間違いなく税務当局側からの示唆指導によるものである点につき長谷部に対し特に念を押して確認した上でこれを承諾し、早速渡守に命じて同会社の設立事務の具体的準備を命じた。

(五)被告人が有限会社同和産業の設立に関与した真相について

ところで被告人は、先に昭和五五年春頃から同和会乙訓支部長今井正義と共同して同和地区関係住民らのための各所轄管庁宛建築確認申請手続の仲介斡旋等の業務を行っていたものであるが、そのためこれら官庁側との交渉に当り右鈴木副会長を会して全日本同和会京都府市連合会の名義を借用し所謂「同和」の名称を活用して利便を得たことが縷々あったところから、被告人としては、前記の通り同和会京都府市連において税務対策遂行の事務上の便宜のため(西田会長は等分同和会府市連に病気のため出勤執務の見込が立たなかったところから)鈴木副会長や長谷部事務局長が西田氏を煩わすことなく、両名が中心となって有限会社同和産業なる商号の会社を設立することを計画している情況に鑑み、この際、予て右今井と共同で建築関連の業務に従事してきた被告人としてはむしろ今井と共同して「同和」の名称の会社を設立することを考慮していた矢先であったから、同和会府市連が当局の示唆に基いてなす右有限会社同和産業の設立発起に参加し、同会社の定款所定の目的の中に、同和地区関係住民らのための建築確認申請の仲介斡旋や、加うるに、予て被告人今井が計画していた建築請負業一般や食料品の輸入販売等をも採入れてもらい、同和会の税務対策事務責任者である長谷部らは同会社を同税対関係事務処理のために活用するし、被告人や右今井としては右の建築関係の仕事や、出来れば食料品の輸入販売等の商売を同会社の名義で営めば、同会社の事実上の上部組織である全日本同和会京都府市連合会をバックに控えた形で営業することが可能となりなにかにつけて有形無形の利益が得られるから、被告人と今井がこの際同会社の役員に名を連ねておくことは是非共必要且有利であると考えた被告人と今井とは右長谷部の提案に基く同和会府市連の右会社設立方針を渡りに船と受止め、被告人と今井とは、有限会社同和産業を両名による前記の経済的側面での同和運動に活用したい意向を掲げて長谷部と面談したところ同人としては税務当局からの行政指導に基いて同会社を設立し、且同指導に従って税務対策事務を遂行するについて合法的に同会社を活用することを考慮しているに止まるから、被告人や今井が同会社の役員に名を連ね、且同会社の定款中に被告人ら両名の計画に基く経済目的を掲げて同和運動をなすにつき同会社を活用することに、長谷部や鈴木会長においては何ら異義はない旨の態度を明らかにしたので、被告人と今井とはこれを了解し同会社設立に協力する態度を明らかにすると共に、長谷部の依頼に応じ、予て今井の知人であった司法書士を長谷部に推薦し同人に同会社設立手続一切を代行せしめるに至った、と言うのが真相である。

三、被告人の犯意の欠缺について

被告人は原判決判示第一乃至同第二事実に係る同和会京都府市連合会のなした税務対策につき、何れもこれを、税務当局が関係法令に基いて予め基本的に全て了承の上、所轄税務署長がその職務権限に基いてなされる適法な行政処分である旨を確信していたものであり、従って些かたりともこれが税法違反の所為に該当するなどとは夢想だにしてはいなかったものである。

(一)被告人が原判決判示各事実の所為につきこれをすべて適法の手続と信じた根拠

被告人としては前記第二項の一、二、及び三、の(一)(二)、殊に(四)(五)所掲の通りの事情から、全日本同和会京都府市連合会が同本部税務対策責任者長谷部純夫らの手で実施する税務対策なるものは、すべて税務当局の事前の諒承のもとに、而もすべて当局の行政指導に基いてなされる適法の手続であるもの、従ってその結果としてなされる具体的課税減免の措置もまた全て適法のもの、と信じ切っていたものである。

原判決は、或いは同和会側が弁解する所謂同和課税減免の法的根拠とするところは憲法第八四条所定の租税法廷主義の原則に照らし何らの法的価値が認められないもの、或いは税務当局が同和会に対し納税申告書に架空の証拠書類を添付してこれを課税控除項目該当金額の裏付資料とするよう行政指導する筈がない等の論法のもとに、被告人側の弁解を全て虚偽のものである旨論断しているやに窺われるのであるが、何れも事実誤認に尽き、被告人らがこれを何れも適法の手続なりと確信した所以は前掲の経緯やその具体的事実の態様よりして何ら疑いのない余地のないところであるし、殊に被告人らとしては現に部落解放同盟が前記同和会において税務対策を採上げる以前に既に過去一〇数年に亘って税務対策を実施して所謂同和課税減免の恩典の適用を受けてきたし、その後も引続き今日に至るも尚且その恩典を何らの変更もなく享受している、という厳然たる歴史的事実を、終始、同じ同和地区関係者同士として身近に見聞してきていたばかりでなく、遠く昭和三五年頃当時から部落解放同盟関係住民らは文字通りゼロ申告ゼロ納税の納税申告方法によりその儘これが認容された儘今日に至っているのであるから、たとえ正規税額の五パーセント乃至一〇パーセント該当額にもせよ現実に、而も税務当局の行政指導にしたがって納税を実行している同和会関係の税対が、かりそめにも税法違反の脱税に該当するものとして後日当局からの処断を被るなどとは夢にも予想しなかった、と言う被告人らの弁解は、正にそれなりに充分うなづき得るところであり、被告人の心理的認識の領域内においてはそれなりの論理的思考を経ての判断として別段の矛盾橦着を指摘すべき余地なきところと思料されます。

(二)同和会側が、長谷部らの手で税務署へ同和産業作成名義の領収証等を提出する、に至った経緯とその真相に係る原判決の事実誤認について

原判決は、長谷部らが有限会社同和産業名義で作成せる、内容架空の領収証等の証拠書類を本件各申告書等に添付し、課税控除項目計上金額の裏付資料として税務署側へ提出した事実を以て、もし当局側が予め了承の上で所謂同和課税減免を行政措置としてなすものであったならば、かかる架空の裏付資料を長谷部らが税務署へ提出する必要がない筈である、との論法を以て、本件各税務対策手続を全て脱税行為にほかならないものと断定する見地に立脚されるやに窺われるのであるが、およそ長谷部らがこれ等の証拠書類を納税申告書にそれぞれ添付して税務署に提出するに至った事情とその経緯については既に前掲第二項の三、(二)殊に(三)(四)以下において詳らかにした通りである許りではなく、これらの証拠書類とまったく同様の形式で作成された領収証等が既に前掲通りの事情のもとに予め税務当局の事前の示唆と行政指導に従って同和会側の手で作成の上提出されたものなればこそ、当初昭和五六年春頃からその後本件検挙に至る迄、その間実に前後四年乃至五年の久しきに亘り、しかもその数実に合計百通乃至それ以上の大量にのぼるこれら何れも一見して同様形式の、しかも全て同のゴム印が押捺され、同和会からの税務対策関係書類なりと識別しうる状態のもとに殆ど間断なく当局宛に提出され、繰返しその「有限会社同和産業」という文字と名称が反覆して係官らの視線に、恰もこれでもか、これでもかと言わん許りに触れ続けたに拘らず、その間何れもそのままこれらが全て認容されていたものであった許りでなく、且また同会社に対する税務調査などは一切行われなかった歴史的な厳然たる客観的事実に鑑みるも、それは原判決が局面糊塗の方便として言わんとするが如き、単に税務当局の怠慢の結果などとの遁辞で説明し切れる筈もなく、正に長谷部らの説明する如く予め税務当局側からの示唆と行政指導によるものであり、従ってそれがその後何れも当局側によって行政措置の一端として公式に認知を得ていたものである客観的な事実は、何人も否定する余地のないところであります。

(三)同和会が当局からの行政指導に基き現に認知を得ていた本件税務対策の人的適用範囲について

原判決はまた、鈴木、長谷部らは固より、被告人もまた、本件納税者である井上博文や奥村典子及び同文治らにつき、果して同人らが同和地区関係住民なりや否やを事前に何ら確認する措置をとっていない事実を把え、被告人らは右井上らが果して同和地区縁故者なりや否やを問題としておらず、従って被告人らが本件各税務対策は所謂同和課税減免の行政措置に真正に該当するものとして納税申告の代行をする意思はなかったものであるから、結局被告人らは本件税務対策が税法違反の所為でなき旨の認識を有しつつなしたものであるかの如く速断し去っているやに窺われる。

しかし右の如き所論は現時社会における社会人の一般通念に対する認識の著しいの誤りに起因している。

葢し被告人らとしては、現時一般社会人の間における未だ抜き難い同和差別意識のもとにおいては、いやしくも同和会を頼って、或いは結婚問題について、或いは就学や、就職の問題について、或いは納税や営業乃至金融の問題その他について、同和地区とは何の縁故も有しない一般市民が同和会事務所へ相談や依頼に訪れると言うが如き実例は凡そ夢物語であるものとの常識的な確信を例外なく抱いているものであり、それ故にこそ被告人らにおいては敢えて事前に本件各納税者らに係る身分関係につき事前にこれを洗い立てるなどの措置はおよそ考えてもみなかったと言うのが真相である。

原判決の右立脚地は当を得ないものたるや明白であります。

(四)本件各納税者の提供に係る資金カンパの性格について

井上博文ら本件各納税者らのなした資金カンパは、既に昭和五六年五月末、全日本同和会京都府市連合会の役員総会で、従来部落解放同盟がその解放運動の活動資金源として、同盟が納税者らのためになした税務対策手続毎に当該納税者からその正規税額の三〇パーセント乃至五〇パーセントに該当する金額を部落解放同盟あての資金カンパ金として徴収してこれを同盟の組織運営資金等に充当してきた慣例を基準として機関決定をした一般的基準により、且個々の納税者毎の具体的な経済状態を参酌してその資金カンパ金額を減免するとの特例を参考として、府市連合会の税務対策主任担当者である長谷部の手許で決定され、特に救済を必要と認められる事情を下部の支部長から鈴木会長あてに(昭和五七年一月の役員総会で西田会長死亡に伴い会長に昇格した)陳情のあった場合には、資金カンパの減額乃至免除の例外適用の納税者を同会長から長谷部宛に連絡指定することがある、といった取扱いがなされていた。

(木村美代治証人調書、渡守秀治証人調書参照)。

従って原判決が認識速断しているやに窺われる如く、納税者が同和会府市連に対して脱税斡旋の謝礼金として支払ったと言うが如き性格の金員ではなかった。

従ってまた同府市連から本件各税対に関連して被告人に対し、苛くも納税者からの個人的謝礼金なるものの山分け分的性格の金員が分与された如き事実は全然なかったものであります。

四、被告人における犯意の決缺と法の不知の問題について

(一)被告人と本件各納税者に係る犯意の決缺

既に前述した通り被告人においては本件判示第一乃至同第二の各事実につき何らそれが税法違反に該当するものである旨の認識は些かもこれを有してはいなかったものであり、即ち被告人には右各事実該当の行為につき、罪を犯す旨の意思は全然存在してはいなかったのが真相であります。

(二)所謂法の不知の問題について

然し乍ら、若し貴庁におかれての法的ご判断が、全日本同和会京都府市連合会において鈴木元動丸らが長谷部純夫らの手を通じてなした本件各納税対策の手続が、前掲の同和対策審議会による内閣総理大臣宛の答申、及び同答申を法的に実施するため制定施行された同和事業対策特別措置法、それに同法の精神に立脚し同和地区関係住民らの経済的地位の向上を企る目的のもとに、同目的の一環として同和地区関係住民に対する課税減免措置の具体的条文を特別措置法が明定しなかった不備を補うため国税庁長官において発せられた通達の第二項等の存在に拘らず、昭和三三年三月二八日付最高裁判所の租税法定主義と通達との関係に関する判例(民集一二-四-六二四参照)による憲法第八四条所定の租税法律主義の原則に適合した合法的な同和地区関係住民のための課税減免措置の適用対象には該当しないもの、とのご認定に万一にも帰する結果となったと致しましても、尚且、被告人が本件各納税者らに係る同和会京都府市連合会のなした税務対策は何れも合法的な所為であると信じ、そのためこれにつき何ら罪を犯すものとの意思を抱かなかったについては、前掲(前掲第二の一、二、三、(一)乃至(四)、四の各項参照)の通りの格別の事情ありしため、専らこれに基く結果に他ならず、正に刑法第三八条第三項但書所定の情状ありしもの、に該当するところと思料されます。

第三、原判決の量刑不当の誤りについて

一、被告人が原判決判示に係る第一及び第二の各事実が該当の所為につき、犯意を抱かなかった事情と刑法第三八条第三項但書の関係

(一)被告人は前記第二の四の(二)項に記載の通りの事情から、原判決が罪となるべき事実として認定した第一及び第二の事実に該当する被告人らの各所為については些かも犯意を意識しなかったものであります。

(二)従って、右の被告人に係る事情は正に刑法第三八条第三項但書所定の情状として量刑上酌量されるべきであるのに原判決は同酌量せず、何ら本件所為につき些かも主導的立場にはなかった被告人に対し懲役刑の実刑を科したのは、明らかに量刑不当に該当するものと思料されます。

二、部落解放同盟における税対の優遇処置とのアンバランスについて加うるに、部落解放同盟においては、本件税対を遡る約二〇年近く以前から、然も所謂ゼロ申告ゼロ納税の方式を以てする同和課税減免の極端な恩典優遇を与えられた侭、今日に至るも尚且これが継続付与されていると云う厳然たる客観的な歴史的事実に徴するならば、被告人に対する原判決の量刑は、法の理念である正義と衡平の見地よりこれを観ても著しく比較権衡を失した重刑に過ぎるもの、との謗りを免れざるところと認められます。

三、本件関連事件被告人の場合との比較権衡について

のみならず、全日本同和会京都府市連をめぐる本件一連の税法違反事件において、それぞれ、税法違反の刑責を問われた同府市連事務局次長内藤光義は被告人同様、同事務局長長谷部純夫の走り使い的役割を果たしていたに過ぎなかったが故に、京都地方裁判所において昭和六一年三月二七日懲役一年四月、罰金一、二〇〇万円、但し三年間刑執行猶予の、又、右一連事件において、捜査段階では鈴木会長や長谷部事務局長らと共に最高責任者の一員とされた同府市連乙訓支部長今井正義は昭和六二年三月二四日大阪高等裁判所において懲役一年八月、罰金二、〇〇〇万円、但四年間懲役刑執行猶予の、それぞれ恩典に浴しているご処分と本件被告人の原判決の量刑とは明らかに比較権衡を失するものとの謗りを免れざるやに思料されます。

四、納税申告代行につき全日本同和会京都府市連合会が納税者から受領したカンパ金の性格について

1、部落解放同盟は昭和四五年前後頃から同和関係住民らの納税申告を代行する所謂税務対策を実施し、税務署側から前記長官通達に基く同和関係住民課税減免処分の配慮を得た場合は、原則として、正規税額の半額、事情によっては同三分の一に該当する金額を解同組織にカンパ資金として納入させる、という方式を繰返してきた。

2、そこで全日本同和会京都府市連合会でも、同和関係住民らのため納税申告の代行をしたことにより、当該納税者に正規税額の一〇%乃至一五%に止まる所謂なにがしかの納税に迄実際の納税額の軽減されるという長官通達配慮を実現した場合は、当該納税者から正規税額の半額、但し事情により同三分の一乃至それ以下に該当する金額をカンパ金としてこれを同府市連合会の活動費その他の同府市連合会の運営予算に組入れることとなっており、但し当該納税者のための納税申告代行手続の委託かたを同府市連合会本部に紹介したものが同府市連合会支部又は支部の活動家であった場合は、同府市連合会本部は当該納税者より受け入れた同本部活動費であるカンパ金の中、その半額を当該紹介者である支部の支部長、又は活動家に、それぞれ同支部又は当該活動家においてその同和運動の推進に充当すべて活動費として交付する旨のルールを、昭和五六年始め頃には既に全日本同和会京都府市連合会本部役員会で機関決定をしていた。

五、同和会幹部らが受領したカンパ金の使途について

全日本同和会京都府市連合会が納税者の納税申告代行により受領したカンパ金はいずれも右同和会の活動費として使用したものであって同和会幹部らが個人的に使込んだものではない。

所謂同和問題とは、日本の社会の歴史的発展の過程において形成された身分階層構成に基く差別により、日本国民の一部の集団が経済的、社会的、文化的に低位の状態におかれ、現在社会においても、なお、著しく基本的人権を侵害され、特に近代社会の原理として何人も保証されている市民的権利と自由を完全に保証されていないという、最も深刻にして重大な社会問題である。

全日本同和会は右のような同和問題の完全解決のため昭和三五年五月一〇日同和地区住民を中核とし、全国民運動を目指して結成された。全日本同和会は部落解放同盟と共に戦前の部落改善、融和運動の流れを継続発展したもので、これらの民間団体はそれぞれの立場から敗戦により中断された同和対策の復活を強く要望し、総合的な同和対策を国策として樹立し同和問題の根本的解決を速やかに政府と国会に対して要請するに至った結果、数々の業績をあげたが、いまだ同和問題の完全解決に至らぬゆえ積極的な運動を展開している。

全日本同和会は「日本国憲法に則り、全国民の反省と自覚によって同和問題解決のため、自主的かつ積極的に運動を行う」ことを目的とし、その実践にあたっては、組織の責任の重大性を自覚のうえ、社会性を保持すると共に、「対話と協調」を基本として同和対策事業の強力な遂行と同和教育の徹底を期し速やかなる問題の完全解決をはかるため強力な運動を展開してきた。

全日本同和会は組織を拡大し環境改善、社会福祉、教育問題、人権問題、産業経済職業等具体的な問題に関し積極的に解決活動をしてきた。全日本同和会京都府市連合会は前同年頃設立され、前記同様の活動を行っていたが長く革新府政が続いたため冷遇され、昭和五二年頃保守府政に変わり、西田格太郎が会長となり人心一新し、鈴木は昭和五四年入会し、副会長に選任せられ、昭和五七年三月右西田会長の死亡にともない、昭和五七年四月会長に選任され、長谷部は昭和五五年一〇月入会し昭和五六年一月事務局長に、被告人は事務局次長に就任して解放運動に取り組んできた。

而して昭和五四年頃の支部は四支部であったが、昭和五五年には七支部になり、昭和六一年には二六支部に拡大し、更に鈴木は全日本同和会本部の理事並びに組織委員として石川、富山、山形、秋田、岡山、沖縄の各県、北海道などの県連合会の設立に尽力し、これに要する費用は相当なもので鈴木が立替払いをしなければならない程であった。

同和会幹部らは右のように全日本同和会京都府市連合会の組織拡大や他府県の同和会の設立・拡大、合同研修、共同講演会開催その他統一行動推進業務の運営費等にカンパ金を使用したものであって同和会幹部ら自身の私用に充当したことは全くなかった。

六、被告人は本件らにおいて個人的にも何ら利得していない。

1、原判決は本件らについて被告人が相当の利得を得たとなし、その論拠として長谷部の検察官に対する供述を挙げているようである。が、長谷部はこの二件について自己の責任を回避するため、被告人にそれをおしつける虚偽を述べて真相をつつみかくしているのである。

長谷部は、この二件については案件の受任、申告関係の書類の作成、カンパ金の処理など重要事項は殆ど渡守被告人が一人でやったもので、長谷部自身は関知していないという。

しかし、そもそも当時事務局長として組織の三役の一を占める長谷部と彼の補助者たる次長で非常勤にすぎぬ被告人との間には会規のうえでも実際上も、その地位・権限においておよそ比較にならない大きな差があった。

被告人は専ら長谷部の指揮下においてのみ職務を遂行していたにとどまり、同人の意を体することなしに会の重要事務を処理することなど空想の世界においてさえもあり得るところではない。

実際の申告手続きをみても、検察官証拠番号24号末尾の井上博文の「五八年分の所得税の確定申告書」に記載された納税者の住所氏名、所得の計算は長谷部が自ら記入したものであるし、それに押捺された全日本同和会京都府市連のゴム印は事務局の田代和子が管理してその使用に際しては長谷部の直接指示を受けていたものであり、角印とだ円形の契印は長谷部自身が管理使用していたものであり、殊に契印は申告書と全日本同和会の申告控帳とに割印して金額と税額が書いてある控帳を同和会が保管して後日の証拠に残しておくために使用していたのである。この判は長谷部でなければ押せないもので、被告人が長谷部からこれを預かってそのような作業をするということもなかったのである。

同調書の末尾に「譲渡内容についてのお尋ね兼計算書」が添付されており、これに用いられている全日本同和会のゴム印と角印についても同様である。そしてこれに手書きされている文字は当時事務局に在籍した加納秀之の書いたものであり、同人は長谷部の妻の連れ子である。被告人はその作成に関与したことはないのである。

同調査書の末尾に二億円の連帯借用証書が添付されているが、この「二億円」という金額とか弁済方法など手書き部分は長谷部の字である。連体借用証書末尾に押捺された債務者株式会社ワールドの会社判と印判は長谷部が管理しているものであり、事務局次長の被告人の自由になるものではない。

同調書の末尾に添付された一億七、〇〇〇万円の領収書をみるに同和産業が発行名義人になっているところ、この会社判や印判は長谷部が管理し同記載の字は長谷部自身が書いたものである。

検察官証拠番号72号末尾の奥村関係の申告書及び資料についても又、井上の場合と全く同様である。

以上のようであって長谷部がその調書において、自分は井上と奥村の案件については殆ど関与しておらず、専ら被告人渡守がやったことでカンパ金の授受・管理・必要書類の作成等の経過については何も知らない旨述べる点は、動かし難い物的証拠と相容れない矛盾を露呈している。

長谷部が被告人をおとしいれるためにみえすいた虚偽を並べたてたものであることが明白である。

2、奥村関係のカンパ金について

イ 昭和五九年一〇月一五日奥村から同和会に支払われた金額は四、二〇〇万円であるところ、被告人は同日夜長谷部の長男が経営する祇園の割烹料理店で全額長谷部に渡した。

ロ その場で、長谷部はその内から一、〇〇〇万円を被告人に預けた。これは一二月の人権週間の行事として開催が予定されていた府民集会の予算とする趣旨である。尚その席には被告人の運転手笹原勝三が同席していた。

ハ ところが後日、昭和六〇年二月二二日頃、鈴木会長から右一、〇〇〇万円を会へ返却するようにとの指示があったので、被告人はそれにしたがって、返還して処理が済んでいる。

ニ 長谷部は一、八〇〇万円を鈴木と被告人の三人で山分けしたと述べているが、被告人も鈴木もこれを否定するように、そのような事実は全くない(検87号鈴木9丁)。

3、井上のカンパ金について

イ 井上から同和会に支払われた金額は二、四〇〇万円であるところ、次のように処理された。

同和会京都府連へ 五〇〇万円

松本・宇津へ 五〇〇万円

吉村下京支部長へ 二〇〇万円

税務署へ納税 三三七万四、〇〇〇円

鈴木会長へ 七〇〇万円

使途不明金 一六二万六、〇〇〇円

合計 二、四〇〇万円

右のうち、使途不明金の一六〇万円余は、長谷部が同和会の経費に使ったものと思われるが同人が管理していたもので被告人にとって正確なところはわからないのである。

ロ 二、四〇〇万円のカンパ金授受の状況は次のようである。昭和五九年二月一四日午前一〇時すぎ、即ち申告手続きの直前に右京税務署近くの喫茶店クラウンで、長谷部・被告人・吉村松雄・鈴木元一(長谷部の運転手)・納税者の井上・宇津竹二郎・松本芳憲の計七名が集まった。

長谷部が井上から紙袋に入った二、四〇〇万円(現金一、九〇〇万円、小切手五〇〇万円)を受領したあと被告人にこれを預かるよう命じた。

申告手続をして三三七万円を納付したあと、長谷部の指示によりクラウンで

松本・宇津に 五〇〇万円

吉村に 二〇〇万円

が交付された。

吉村と被告人は引き続き同和会のある三洋御池ビル地下の喫茶店「いそべ」で長谷部と会い、その場で被告人から長谷部に紙袋に入ったままの現金一、三六二万円余が手渡された(検88吉村7丁・10丁裏、検24渡守12丁)。

尚その際長谷部から中央信用金庫樫原支店の株式会社丸元(鈴木会長経営)の口座へ七〇〇万円を急いで送金しなければならない、

と聞かされた。

実際二月一八日右口座に七〇〇万円が入金されている(検86鈴木12丁)。

ハ したがって被告人がこのカンパ金の中から一、〇〇〇万円を配分にあずかる如き余地そのものがないのである。

七、本件の背景と被告人の経歴

1、昭和四〇年八月の同和対策審議会答申には、要旨次のように述べられている。

「同和問題は、日本社会の歴史的発展の過程において形成された身分階層構造に基づく差別により、国民の一部の集団が経済的・社会的・文化的に低位の状態におかれ、現代社会においても、なお著しく基本的人権を侵害されているという、もっとも深刻にして重大な社会問題である。

多数の国民が社会的現実としての差別があるために一定地域に共同体的集落を形成している。この集団的居住地域から離脱して一般地区に混住するものもまたその伝統的集落の出身なるがゆえに陰に陽に身分的差別のあつかいをうけている。集落をつくっている住民は、「特殊部落」「後進部落」「細民部落」など蔑称で呼ばれ、明らかな差別の対象となっているのである。世人の偏見を打破するためにはっきり断言しておかなければならないのは、同和地区の住民は異人種でも移民族でもなく、疑いもなく日本民族、日本国民である、いうことである。

世間の一部の人々は、同和問題は過去の問題であって、今日の民主化、近代化が進んだわが国においてはもはや存在しないと考えている。けれども、この問題の存在は主観をこえた客観的事実に基づくものである。部落差別は、半封建的な身分差別でありわが国の社会に潜在的または顕在的に厳存し、多種多様の形態で発現する。たとえば、言葉や文字で封建的身分の賤称をあらわにして侮辱する差別、非合理な偏見や嫌悪の感情によって交際を拒み、婚約を破棄するなどの行動にあらわれ、就職・教育の機会均等が実質的に保障されず、政治に参与する権利が阻害され、一般行政諸施策がその対象から疎外されるなどの差別であり、このような劣悪な生活環境、特殊で低位の職業構成、平均値の数倍にのぼる高率の生活保護率、きわだって低い教育文化水準など同和地区の特徴として指摘される諸現象は、すべて差別の具象化である。」

被告人自身、典型的な被差別地域の出身者であって、当然のことのように同対審答申に列示されるような数々の差別的扱いを受けてきている。差別は彼が生まれたその日から始まり今日まで絶えることなく続くのである。差別はまた彼自身の意思や希望や努力とは全くかかわりなく他から襲ってくるのである。被告人の屈辱感や・無念・悲しみ、社会への絶望や反揆等の心情は、おそらく他のかい間みることを許さないものであったと想像する。そしてそれらが彼の人間形成に甚大な影響を与えたであろうことは推察にかたくないところである。

被告人は、そのような逆境をはねかえそうとするかのように勉学にいそしむ。吉祥院小学校・朱雀高校鳥羽分校(定時制)を経て日本医学技術専門学校を卒業する。

一方で被告人は同和運動に身を投ずる。

被告人は少年の頃すでに部落解放同盟に加盟していた。解放同盟の書記局に入って積極的に解放運動に参加することになるが、やがて解同の集団暴力主義傾向に対しては次第に社会的批判があびせられるようになり、被告人自身も心情的にあわないものがあることを感ずるようになった。昭和五五年頃知人のすすめもあって全日本同和会京都府市連合会に入会した。同会が自民党支持の旗を掲げる穏健派であったことが、被告人の思想傾向と一致したわけである。

翌昭和五六年春の役員改選の際、事務局次長に任命され事件当時に至ることになる。

2、このような行動歴はいうまでもなく、被告人個人の利害・損失の打算を超えるものである。同じ悩みに苦しむ多くの人たちのために、彼にも吾にもただ人間性を回復したいとの純粋な一念を超点となし終着点とするものであった。

しかし乍ら、本件の検挙は被告人の人間の根源から発する解放運動への情熱さえもなえさせてしまった。だが、我が国においていわゆる部落差別が現に存在する以上誰かがそれに対抗する運動を続けなければならないことはまぎれもない事実である。

本件のような形での税対は別として真に正しい運動は、本件で受けたダメージをのり超えて今後も押し進められる必要がある。

八、被告人にはこれ迄前科は勿論のこと警察等の取調べを受けたこともなく、前記のように同和運動をする等して極めて善良な市民として生活しており、現在も家族は勿論のこと、警備保障会社を経営し多くの従業員及びその家族を支え懸命に生活している状態である。

第四、結論

一、右により明らかな通り、被告人につきましては原判決をご破棄の上、無罪の判決を賜りたく、

二、若し右が認められないとしても、特に前記の情状をご酌量相成り、原判決をご破棄の上、被告人に対し特に懲役刑につき執行猶予のご判決を賜りますよう願上げます。

以上。

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